俳優・竹内蓮の半生とロチュス『成人(仮)』のこと──マジョリティ特権と心地よい演劇のあり方をめぐるインタビュー

聞き手・構成/清田隆之

 ロチュスを旗揚げし、その第一回公演『成人(仮)』でもすべての作品に出演している竹内蓮さんは、現在27歳の俳優だ。所属する「劇団スポーツ」の作品や、本公演でも『煙に幕』の脚本を担当している中島梓織さんが主宰を務める「いいへんじ」の作品など、これまで小劇場の舞台を中心にキャリアを重ねてきた。

 子どもの頃から友達が多く、勉強も運動もできたという竹内さんは、「学校が楽しくて大好きだった」と語るなど、概ね幸福な人生を歩んできたことを自覚している。しかし、俳優という生き方と向き合う中で「自分自身が何者なのかわからない」と疑問が生じ、さらにジェンダーの問題を考える中で「自分は様々な特権を享受してきた“マジョリティ男性”だった」という自己認識を持つようになった。

 今回は縁あって、そんな竹内さんにインタビューさせていただく機会に恵まれた。どんな幼少期や思春期を送り、どう自己形成してきたのか。なぜ演劇に魅せられ、その人生が『成人(仮)』という作品とどうつながっているのか──。本番が迫る中、言葉を選びながらこれまでの半生を丁寧に言語化してくれた竹内さんのお話。



“主人公”への憧れ、バスケ部で経験した挫折


 小学校の頃からずっと運動ができて、背も高いほうで、リレーの選手に選ばれるとか部活でレギュラーを取るとか、ずっとそういうポジションにいました。負けず嫌いで努力もしていて、特訓してマラソン大会で入賞したり、バスケ部の部長に自分でエントリーしたり。勉強も苦に感じたことが特になくて、テストで100点を取ることがデフォルトみたいな感じでした。

 振り返るとかなり自分に対する見積もりが高かったなって思いますが、それはおそらく漫画の影響で、バスケを始めたのは『スラムダンク』がきっかけだったし、他にも『NARUTO』とか『ワンピース』とか『名探偵コナン』『金色のガッシュ!!』とか、ザ・少年漫画という作品を読んでは「青春を勝ち取りたい!」みたいな思いを募らせていて。すごく覚えているのは避難訓練のとき、なぜかずっと自分が主役になる妄想をしていたんですね。好きな子が学校に閉じ込められていて、それを僕が助けに行く、みたいな。お恥ずかしい話、小学生の頃から“主人公”みたいな存在への憧れがあったんだと思います。

小学校の卒業アルバム

 ただ、中学生になると勉強も運動もひとつレベルが上がるじゃないですか。それにすごく怯えてて、入学する前に「ここで頑張れば中学の3年間勝ち組になれる」みたいな進研ゼミの漫画を好きで読んでいました。春休みに自分でドリルを買ってきて、「このまま頑張り続けるぞ」「負けないぞ俺は!」って……なんというか、自分に酔っていたんだと思います(笑)。でも、中学でも引き続き所属したバスケ部で、人生で初めての挫折を経験してしまって。

 というのも1年生のとき、バスケ部で僕だけ市の選抜チームに呼ばれたんですね。もちろんうれしさはあったんですが、同じ部活にはどう考えても自分より上手いやつがいて、なぜ自分なんだろう……って。それで「選抜に呼ばれたんだから頑張らなくては!」というプレッシャーを抱えることになりました。さらに顧問がめちゃくちゃ厳しい先生で、「サボってんじゃねえよ」「選抜なんだろ?」みたいにイジられて。結局は上手いやつとの差も埋まらず、段々しんどくなって部活を辞めたいと親に相談しました。最初は「中途半端はよくない」みたいなことも言われましたが、プチ家出とかして本気度を示し、無事に辞めることができた。それで気持ち的には楽になったものの、「自分は運動から逃げてしまった」「俺はここぞという場面で頑張れない人間なんだ」って思いが芽生え、それは今でも結構尾を引いているように感じます。


好きという気持ちを見せない男のほうがかっこいい


 とはいえ、それで学校が嫌になったわけではなく、バスケ部を辞めたことで生活に余裕が出てきました。またいろいろ頑張れるかもって気持ちが回復し、恋愛に気持ちが傾くようになったんです。中2になって気になる人ができたんですが、どうやらその子が副級長をやりそうだということで、級長に立候補してお近づきになろう、みたいな企てをして。

 実際に狙い通りの流れになりまして、放課後に委員会の打ち合わせをしたり、合唱祭では指揮者と伴奏者を担当したりと、2人で過ごす時間が増えていきました。放課後のときだけ髪を縛ったりするのもよかったし、「明日はここ集合だよ」みたいな事務連絡の手紙もよくもらっていたんですが、その字がすごく綺麗でキュンとしたり(笑)。そうやって2人の関係を少しずつ構築していって、最終的に合唱祭の翌日に彼女の家まで行って告白し、お付き合いさせていただくことになりました。

 こうやって書くといかにも計画的って感じがしますが、当時の僕は姉から借りた『君に届け』の風早くんとか『天使なんかじゃない』の須藤晃とかにめちゃくちゃ憧れてまして、男はクールであるべきというか、好きという気持ちを見せない男のほうがかっこいいと思い込んでました……って、ほんと漫画に影響されすぎですね(笑)。

 中2から再び始まった青春はその後も続きまして、県内の進学校に通った高校の3年間も概ね楽しいものでした。高校では自分よりデキる人が当たり前のようにいまして、勉強は常に下から数えたほうが早いくらいの順位だったし、再び入ったバスケ部でも平社員的なポジションという感じでした。でも、かつてのようにそれがコンプレックスにはつながらず、自分の立ち位置を受け入れ、焦らずやっていこうみたいなマインドだったように思います。むしろ進学校の生徒に特有のエリート意識と言いますか、他の学校を見下しているような感じがすごく嫌だったし、「勉強して○○大学に行け!」みたいなことを言ってくる教師たちにも反発心を抱いていました。

高校時代、バスケ部最後の大会に負けた後に部員と新潟市を巡っている様子。

 身の程を知りつつも楽しく過ごしていた高校生活ですが、高3で部活を引退するくらいの頃から「俺はこんなもんじゃねえ」「負けるか!」みたいな気持ちが湧いてきまして、大学受験に向けて本腰を入れる決心をしました。そこから集中して勉強しまして、国立の千葉大学に合格。その成功体験により、「やっぱり俺はできる人間なんだ」みたいな自尊心をギリギリのところで保つことができたのですが……それは大学で一気に崩れることになります。きっかけは同級生の男子たちから受けた“容姿いじり”でした。

 僕が入ったのは教育学部の体育学科というところで、文字通り体育会系の空気が色濃い場所だったんですね。20人中15人が男子という環境で、しかもすごいタテ社会で先輩も怖くて。1年生のときに先輩との顔合わせみたいなイベントがあったんですが、そこで挨拶をした際、「お前の顔、なんか変だよな(笑)」っていじられまして……。以降、それに影響された同級生たちからも頻繁に容姿いじりをされるようになったんです。

 それが本当に嫌だったんですが、冗談っぽい空気で言われるから笑って受け流すしかなくて。その影響か、スマホで写真を撮るたびに人の容姿と比較するようになってしまい、「なんで今まで恋人とかいたんだろ」「何を俺はイケメンポジションのように振る舞おうとしてたんだ」「これで風早くんとか論外だろ」みたいな。それが本当にショックで、そこからはもう、ずっと肩をすぼめて生きているような感じです。


最初は演劇のことをすごく舐めていた


 演劇との出会いは中3のときでした。僕の通ってた中学校では、3年生が有志で演劇をやるという恒例行事がありまして、そこに参加したのがきっかけでした。若い頃に東京で演劇活動をしていた人が地元に帰ってきて、中学生に演劇を教えるという企画を毎年やっていたんですね。それでおもしろそうだと思って参加したら、友達の前で笑いを取ることの気持ちよさみたいな感覚を初めて味わって。

 そこから興味は芽生えていたものの、ちゃんと演劇というものを観たことはなかったんですが、高2のときにハマるきっかけがありました。それは大好きだった多部未華子さんが出ている『農業少女』という舞台作品で、WOWOWでやっていたのを友達に録画してもらって観たんですが、これが本当におもしろくて。大学生になったら演劇やってみたいなって、そこでわりと決心したところがありました。

 体育学科には「運動部に入らないやつはカスだ」みたいな雰囲気があって、先輩も怖かったので最初はバスケ部に入部しました。経験者だったから練習もこなせたし、楽しくやれそうな感じもあったんですが……ちょっとやばいぞ、このままだと大学4年間を棒に振るかもしれんと急に思って、すいませんって頭を下げて1か月足らずで退部しました。

 それで飛び込んだのが演劇サークルでした。新歓公演も観てないし、お試し会にも参加してなかったんですが、駆け込みで参加して「よろしくお願いします」って。そんな感じで始まったわけですが、最初は演劇のことをすごく舐めていて、しんどいであろう運動部の4年間よりもこっちのほうが楽しいだろって思っていたし、あと高校時代は演劇部にちょっとじめじめした印象を持っていまして、運動部出身の自分が行ったら重宝されるんじゃないか、もっと言うと「陰キャの集まりに陽キャの俺が行ったら喜ばれるだろう」みたいな気持ちも正直ありました。

 同級生からの容姿いじりに悩まされつつ、演劇サークルでは先輩の言うことを愚直に聞き、発声練習などの基礎を一生懸命やっていました。それで2年生のとき、初めて下北沢で小劇場の演劇を観まして、そこでいろいろ刺激を受けて。そこから外の劇団のワークショップなんかにも参加し始め、今思うとパワハラだったなという光景も少なからず目にしつつ、演劇のしんどさというか、あ、本当は演劇って体育会系なんだなってことを学んでいきました。

 そういう感じで演劇にのめり込んでいったわけですが、その原動力はなんだろうと考えると、観客として舞台を観て、 そこで笑って泣いた経験が大きかったように思います。「自分もあっち側に行きたい」という思いと言いますか、あっちはキラキラしてて羨ましいな、楽しいとこの渦中にいたいな……って、なんかあれですね、漫画の主人公に憧れるマインドが全然変わってないですね(笑)。


自分が幸せに生活するための演劇


 そんな感じで演劇を続け、4年生になって進路や将来のことを自分なりに考えました。卒業と同時に演劇から離れてしまう人もいましたが、演劇を職業にしている人たちを少なからず目の当たりにする中で、その道は自分にもあり得るんだって思ってしまって。やりたい気持ちはあるし、ここで諦める理由はないなということで演劇を続けるつもりでいたのですが、そういう中で最も大きかったのが「劇団スポーツ」との出会いでした。

劇団スポーツの面々。左から田島実紘、竹内蓮、内田倭史。

 劇団スポーツは僕が所属している団体で、2つ上の田島さん、同い年の内田と3人で活動しています。田島さんも内田も他劇団の忘年会やワークショップで知り合った俳優仲間で、劇団スポーツも元々はふたりが立ち上げたものでした。すごくウマの合う人たちで、縁あって劇団スポーツの公演に出ることになって。最初は5人芝居って聞いてたんですけど、蓋を開けたら3人芝居で、それが本当に楽しくて、僕も正式に参加することになって。劇団員には恥ずかしいと思われるかもしれないですけど、僕としては、漫画で言うと「パーティが集合した!」って感覚だったんですよね(笑)。

 ふたりとなら楽しく過ごせそうっていう安心感があり、そこから就職という選択肢がなくなって今に至ります。そこから早稲田界隈とのつながりなども生まれ、中島さんの「いいへんじ」もそうですけど、その仲間たちと演劇を続けてるという感じです。

 なんだかんだで演劇を始めて10年くらいになりますが、ここ2〜3年は俳優という仕事についてより真剣に考えるようになりました。もはや俳優を通して考えたほうが気が楽になると言いますか、もしかしたら辞めると生きづらくなっちゃうのかなって。大きい舞台に立ちたいって気持ちはもちろんあるんですが、そこに対する憧れというよりかは、それよりもっと手前の、自分が幸せに生活するための手段になっているのかな。例えば友達とかパートナーとか、そういう大切な人たちと時間を過ごすために、演劇がすごくいい影響を与えてくれてきたんだなって感じていて、どうやったら俳優を続けていけるかっていう問題に今は興味があります。

 2年ほど前に、福島県での滞在制作を経験しました。市民参加型の演劇に、僕も東京からの一般参加という形で関わらせてもらったんですけど、そこでの稽古や本番がすごく重厚な時間だったんですね。東京には届かないかもしれないけど、その土地の人たちとその土地で上演する作品を一緒に作ることの尊さと言いますか……なんか言語化するのが難しいんですが、今後の活動を考えるひとつのきっかけになって。

 以前は「人生を賭けて俳優を続けるor俳優の道を辞めて働く」みたいな2択のイメージでしたが、今はいろんな方法があるなと思っていて、もちろん俳優で食べていく道を目指すというのもあるし、就職して働きながら演劇を続ける道だってある。自分にとって何が幸せなのか模索中ですが、辞めるという選択肢は今のところありません。


これまで無自覚だったことが伏線回収されたような感覚


 俳優として舞台に立ち、まとまったお金をいただくことの喜びはもちろんあります。でも、そのためにはオーディションで選ばれ続けていく必要があり、それがプロのしんどさでもあります。僕がロチュスを立ち上げたのは、それこそサバイバルに勝ち残るため、竹内蓮という俳優の存在を見てもらうためという側面も正直ある。そういう中で浮かび上がってきたのが「自分は何者なんだろう」というテーマでした。

 オーディションの書類を出したりするときって、 なぜこの作品に関わりたいかということを書く必要があるんですが、それを考えるためには、つまるところ自分が何者なのかを知らなきゃいけないんです。俳優が楽しいという気持ちは本物だけど、あなたのことを端的に言語化してくださいって言われたときに「無理だ!」と思ってしまい……それをそのまま公演の題材にしていいんじゃないかって。

成人(仮)の演劇『煙に幕』より。撮影・月館森

 そんなことを考え始めたとき、ロチュスで制作を担当してくれている黒澤たけるさんに勧めてもらったのがジェンダー関連の本でした。黒澤さんいわく、僕がここ数年間で関わってきた舞台の中にはジェンダーへの切り込みの深い作品が多々あり、そういう中で元々ホモソーシャルな価値観の中で生きてきた僕の中に揺れが生じているように見えていたそうです。

 最初に手にしたのが男性性の本で、それこそ清田さんの『さよなら、俺たち』とか、太田啓子さんの『これからの男の子たちへ』なんかを読んだときは、「まさに自分のことだ……」ってなりました。不用意に友達を傷つけてしまったこととか、恋人に対して意味もなくイライラしちゃったこととか……「あのときのあれはこういうことだったのか!」って、これまで気づけなかったことが伏線回収されたような感覚になったんです。ただ、そうやって自己理解が深まったと同時に、これまで無自覚だった特権性に初めて気づかされた部分もあり……どうしたらいいんだろうって。

成人(仮)の中で上映される映画『◯月◯日』。

 それでジェンダーの本をひたすら読み続けました。そういう中で、社会を変えるのは簡単なことじゃないけど、自分自身を中心に小さなところから緩やかに変化していくことはできるんじゃないかと思った瞬間があり、それを男友達に話したことがあったんですね。そしたら「それは蓮くんが特権を持ってるからでしょ」って言われまして……ショックでした。現状の社会構造に苦しめられている人がいて、そういう声を無視したくないとか思ってるくせに、俺は何を緩やかな変化とか言ってるんだ!って話ですよね。自分が恵まれたマジョリティ男性であるという事実は、そうやって僕の中で大きなテーマになっていきました。


自分はこういうことがやりたかったんだな


 『成人(仮)』は、黒澤さんの提案に僕が乗っかる形で決まったタイトルでした。人に成る──つまり自分がなりたい自分になるとか、こうありたい自分でいるとか、そういうことを考えていくようないい言葉だなって。それに、年齢的には成人してたとしても、そういう部分ではみんな(仮)です……という思いも込めつつ。

 もっとも、たくさん本を読んだからと言ってなりたい自分になれるわけではなくて、むしろ難しさに直面する機会が増えたかもしれない。例えば長い付き合いの男友達と会ったとき、以前であれば無邪気に盛り上がれたのに、性差別的な言動とか、ホモソーシャル的なノリとか、そういうのが気になるようになってしまって。でもそこで注意したり啓蒙したりするのも偉そうじゃないか……でも友人としてそれを見過ごしていいのか……みたいにモヤモヤする瞬間が結構あるんですね。

 あるいは、演劇の世界でも度々取り沙汰されている性加害やハラスメントの問題でも、演劇人として、また男性の一人として日々悩みながら考えているのですが、それをどこでどう表明していけばいいのか。SNSで発信することが大事ではないかという思いはあるものの、間違ったことを言ってしまったらどうしようという怖さが正直あります。とはいえ何も表明しないのも状況を傍観しているようで心苦しく……。

成人(仮)の演劇『期限』より。撮影・月館森

 そういう葛藤を重ねる中で、自分は俳優として、演劇を通じて表現していこうという思いに至りました。もちろん作品が直接的なメッセージや態度表明になっているわけではないのですが、細部までしっかり考え抜いて、みんなと話し合いながら演劇を作り上げ、最後は祈るような気持ちでお客さんに観てもらう。それが責任ある表現ではないかと今は考えています。

 稽古は大詰めを迎え、個人的にはすごく手応えを感じています。男性性の悩みから出発した『成人(仮)』は、メンバー全員との対話や共同作業を通じ、また違った次元の作品に仕上がっています。今回は僕も含めて5名の俳優が出演していますが、その人がその人であることをすごく大事にしている稽古場で、なおかつ、その人はその人なんだけど、同時に俳優でもあり、役を背負う人間でもあるっていう、その3つのレイヤーを同時に存在させたいねってことを話しています。他者やキャラクターのことを想像したりする中で、自分との違いとか、自分には理解できない部分とか、そういうことをとことん話し合いながら作っていて。ああ、自分はこういうことがやりたかったんだなって、なんか今、奇跡的な共存みたいな形を取れていて、自分と他者を俯瞰して見られるような公演になるんじゃないかと思っています。それはこの公演の出発点である「自分は何者なんだろう」という問題を考えることとすごくつながっているなって。

聞き手・構成/清田隆之

1980年東京都生まれ。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。著書に『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』『さよなら、俺たち』『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門──暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信』など。女子美術大学非常勤講師。